「キレイ好き」と「潔癖症」その違いは?
投稿日: 2023年12月16日
自分では「キレイ好き」だと思っていたのに、周りから「潔癖症だよね」と言われてしまった、という経験のある人は案外多いかもしれません。では、「キレイ好き」と「潔癖症」、その違いはどこにあるのでしょうか?今回はこの2つの違いについて解説します。
このページの目次
違いその1:キレイではない場所に対しての感情
清潔な状態や整理・整頓ができていることを好むのが「キレイ好き」なら、不潔なものや不正を極度に嫌うのが「潔癖症」と辞書では定義されています。この辞書の定義からもキレイ好きと潔癖症はかなり違うことは感じられると思われます。まず、清潔でなかったり、整理されていなかったりする現状に遭遇した時、キレイ好きは「きれいにしよう!」と思って実行するでしょう。それに対して、潔癖症は清潔でないこと、整理されていないことが許せないのです。その違いが感情に現れます。キレイ好きは掃除や整頓が好きで、キレイになることが楽しいのですが、潔癖症はキレイでないことが嫌いで不愉快で、耐えがたいのです。キレイでない場の肯定と否定という対照的な態度があります。
違いその2:状況を受け入れられるかどうか
次に、キレイ好きにとって、きれいでないことはもちろん好ましいこと・愉快なことではないでしょう。しかし、物事には状況があります。たとえば、小さい子どもがいて始終遊び散らかしている家庭のことを想像してください。お母さんはこまめに片づけをしていても、散らかってしまいがちになります。そんな状況を、キレイ好きなら「まあ、いいか!」と受け容れることができますが、潔癖症は状況の如何にかかわらず、整理されていないことが耐えられません。結果的に、周囲の人にあたったり子どもを必要以上に叱ったりといった人間関係への影響も出てくることがあります。
違いその3:「未来志向」か「過去志向」か
三番目に、清潔でなかったり整理されていなかったりする現状をまずは許容して、可能な限り改善していこうということが、掃除や整理・整頓の場面で態度や行動に現れるのが「キレイ好き」です。現状をどうしていこうかという「未来志向」がキレイ好きのベースとなる生き方なのに対して、潔癖症は清潔でない整理されていない現状を認められないこと、許せないことに気分が支配されます。なかには、さっさと一人で自分が気に入るように掃除や整理を始めてしまう人もいるでしょうが、きれいにしていない周囲の人に当たり散らしたり非難したりといった言動をするかもしれません。とにかく、こうなっている現在やそれに至った経緯が耐えられないということに意識が集中しています。その意味で「過去志向」の生き方です。
違いその4:「100%のキレイ」を求めているか
最後に、清潔といっても100%清潔な環境はありません。整理・整頓と言っても万人が納得する方法などあるのでしょうか?きれいにすることはいつも、厳密には「キレイになった部分」と「まだキレイになっていない部分」との混在、いわば妥協の産物とならざるを得ません。そうした妥協を認められるのが「キレイ好き」の現実主義なのにたいして、潔癖症は100%のキレイを追求し、そうでないものを認めません。99%は0%に等しいという考え方の人が多いものです。それは、非現実的かもしれませんが「純粋」さへのこだわりであり、囚われであり、純粋でないものの否定だということができるでしょう。
病的な潔癖症は強迫性障害の症状の場合も
さて、程度にもよりますが、これまで挙げてきたような「潔癖症」の特徴は、極端になっていくと病的になっていくでしょう。たとえば強迫性障害の症状となって出てきたり、不潔・不整理な中で生きていることが苦痛だったり、周囲の人とのいさかいや孤立へとつながっていく危険性が大きいからです。病的な潔癖症の例として、強迫性障害の症状が挙げられます。すき好んでいるわけではないにしても、くり返し迫ってくる「強迫観念」と、それへの反応としての「強迫行動」を特徴とする強迫性障害。たとえば、不潔恐怖症の場合、自分の手がまだ汚れているという強迫観念から、手を洗い続けるといった強迫行動にふけります。何時間も洗い続ける、汚れを落とすために強い洗浄剤を使って手を傷めるなどが起こります。100%キレイにならないと気がすまないという気分が患者を支配します。清潔に向かってすべてのエネルギーを注ぎ込む病的な純粋さに、本人さえも悩むことが少なくありません。
言えないでしょう。
<執筆者プロフィール>
井上 愛子(いのうえ・あいこ)
保健師・助産師・看護師・保育士。株式会社Mocosuku社員、産業保健(働く人の健康管理)のベテラン